ファシリテーション談義シリーズ(2)
前回はファシリテーションという、一見分かりにくい用語について語りました。
今回も、地域づくりにおけるファシリテーションについてさらに考えてみましょう。
ここでは、「リーダー」と「ファシリテーター」の2種類に分けて話を進めます。
現実には、リーダーとファシリテーターの2種類だけで人々を区分できるわけではありません。
同じ人が、時にリーダーになり、時にファシリテーターになる、ということもあります。
この2種類以外の役割を果たす人もいるでしょう。
便宜的に話を単純にしているだけ、という前提でお読みください。
では、地域づくりにおけるリーダーとはどのような人でしょうか?
自治体、地区、公民館など組織の上に立つ人がまず思い浮かびますね。
奥能登のような地方では集落ごとの祭りも大事な活動です。
祭りの実施のための組織があり、必ずリーダーがいます。
他方で、公的な立場でなくてもリーダーはあちこちにいます。
リーダーとは「先導する人」の意。
何を先導するのか。あるいは、誰を先導するのか。
その対象は様々です。
ちなみに、僕は、自分という人間はファシリテーターである(ありたい)と考えています。
でも、「地域づくりファシリテーター研究会」を立ち上げるときは先導しました。
その意味ではリーダーです。
研究会活動のために助成申請した際にも研究代表者となっています。
このように、時と場合によって立場は変わるものです。
地域が発展する際には、地域で様々な活動がおこなわれるはずです。
そして、それぞれの地域づくり活動にリーダーがいます。
「あれ、本当にいたっけ?」と疑問が出るなら、その活動は黄信号かもしれません。
リーダーの存在がまず必要かつ重要であることは間違いないです。
では、リーダーだけがいればよいのでしょうか?
それを考えるために2つの例え話をしましょう。
昔々、あるところにお金持ちのプロ野球球団がありました。
(おとぎ話と思って聞いてください)
そのチームは、カネに物を言わせて、他球団のホームランバッターやエースピッチャーをどんどん獲得しました。
では、そうやって組んだチームが圧倒的に強くなったのか?
答えは違います。
バントや進塁打など地味な技巧派の打者も必要なのです。
ピンチに登場して相手強打者一人だけ抑えて役目を終える救援投手も必要なのです。
野球に関心のない人のために、別の例え話をしましょう。
演劇は主役だけでは成り立ちません。
脇役が必要です。
更に、表に出ることなく舞台裏でひたすら持ち場をこなす裏方も必要です。
地域づくりも同じです。
リーダーだけでは成り立ちません。
側面支援するファシリテーターも必要なのです。
これまで、リーダーにばかり注目が集まりすぎていたのではないでしょうか。
僕自身も運営に関わってきた能登里山里海SDGsマイスタープログラムも実はそうかもしれません。
「次世代のリーダー育成」が常に謳われてきました。
もちろんそれは大切な目的です。
実際、リーダーと呼ぶにふさわしい、目覚ましい活躍をしている人も確かにいます。
では、それ以外の人たちは「ハズレ」なのか?
決してそんなことはありません!
マイスタープログラム10周年記念のパネル討論(2018年9月8日)で興味深い議論がありました。
パネリスト陣は、プログラム修了者(能登里山里海マイスター)のなかでも特に「リーダー」人材の模範例のような顔触れ。
そこに、「若手」のマイスター代表としてパネリストに加わった志保石薫(しぼいし ゆき)さん。
志保石さんは「ここに並んでいるパネリストのように目覚ましい活躍を全員がしなければならないわけではありません。この地域で普通に暮らしているだけでも十分に素晴らしいことなんです」という趣旨のことを述べました。
誰もがリーダーを目指さなくてもよいし、地味でも地域にそれぞれの持ち場があることを伝えてくれました。
色々な場面でリーダー役にもなっている志保石さんが語るから説得力があります。
同時にファシリテーションへの関心も強く、地域づくりファシリテーター研究会のメンバーにもなっています。
ということで、僕たちの問題意識を改めて言います。
目立たないところで地域づくりを側面支援している人たちの果たしている役割にも、もっと光を当てるべきです。
リーダーだけでなく、ファシリテーター人材の育成も必要、ということです。
では、地域づくりファシリテーターの役割とは何か?
どのような知識や技能が必要なのか?
それを正面から扱おうというのが我々「地域づくりファシリテーター研究会」なのです。
リーダーの役割よりずっと分かりにくい難題に取り組んでいきます。
答えが分かりにくいからこそ、ファシリテーションの視点が生きるかもしれません。
模索は始まったばかりです。
北村健二(コーディネーター)
能登SDGsフィールドレポート:日々の活動のなかで北村個人が感じることを共有するための媒体で、組織の立場や見解を示すものではありません。